ハワイアンジュエリーの歴史は?起源や流行となったきっかけを解説

ハワイアンジュエリーは、美しい彫刻と深い意味を持つデザインで今でも多くの人々を魅了しています。その歴史は、ハワイ王朝時代にまで遡り、王族や愛する人への特別な贈り物として発展してきました。そこでこの記事では、ハワイアンジュエリーの歴史について解説します。流行となったきっかけも合わせて解説するため、ぜひ最後までご覧ください。
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ハワイアンジュエリーの歴史
ハワイアンジュエリーのルーツは、17世紀後半のイギリスに遡ります。当時、家族や親しい人への愛や追悼の気持ちを刻む「センチメンタルジュエリー」と呼ばれるゴールドジュエリーが流行しました。これが現在のハワイアンジュエリーの原型とされています。
ハワイアンジュエリーが広く知られるようになったのは、19世紀半ばのヴィクトリア王朝時代です。ハワイ王朝のリリウオカラニ女王は、ヴィクトリア女王の即位50周年記念式典に出席した際、ゴールドブレスレットを贈りました。
ブレスレットに魅了されたリリウオカラニ女王は、同様のデザインのブレスレットを数多く製作します。その後、ハワイの職人や人々に広まり、独自の文化を持つハワイアンジュエリーとして定着していきました。
リリウオカラニ女王について
リリウオカラニ女王は、ハワイ王朝最後の国王として知られ、今なお人々に敬愛される存在です。激動の時代を生き抜きながらも、音楽家としての才能に恵まれ、生涯で200曲以上の歌曲を残しました。
リリウオカラニ女王が誕生したのは、1838年です。1878年には、ハワイを代表する名曲「アロハ・オエ」を作曲し、その音楽的才能を発揮しました。1887年には、英国ヴィクトリア女王の在位50周年祝典に招かれます。
1891年、ハワイ初の女王として即位しましたが、1895年にクーデターが勃発し、イオラニ宮殿に幽閉されました。同年、ハワイ王朝は滅亡し、ハワイ共和国が設立されましたが、1898年にはハワイ共和国がアメリカ合衆国に併合されます。その後もリリウオカラニ女王はハワイの文化や音楽を守り続け、1917年、79歳でその生涯を閉じました。
ハワイアンジュエリーの原型
1861年、ヴィクトリア王朝ではアルバート王子の逝去により、イギリス全土が深い悲しみに包まれました。ヴィクトリア女王は夫の死を深く嘆き、その後25年間にわたり喪服をまとい続けたと伝えられています。彼女は喪に服すため、黒いエナメルを施した特別なジュエリーを制作し、日常的に身に着けていました。
また、ヴィクトリア女王と親交のあったハワイ王国のリリウオカラニ女王も、彼女の悲しみに共感しました。そこで、追悼の意を込めて「Ho’omanaoMau(永遠の思い出)」と刻まれた同様のブレスレットを制作したと言われています。そのブレスレットは、生涯身に着けていたそうです。
ヴィクトリア女王が愛用した喪服用ジュエリーは「ヴィクトリアン・モーニング・ジュエリー」と呼ばれました。元々は哀悼の意を表すものでしたが、次第にその美しさが評価され、流行として民衆にも広まったとされています。このスタイルが、現在のハワイアンジュエリーの原型です。
大切な人への贈り物
1893年、リリウオカラニ女王は、イギリス人の恩師、ゾイ・アキントンに感謝の気持ちを込め、ブレスレットを贈りました。ブレスレットには、自身が作曲した「アロハ・オエ」の言葉が刻まれていたそうです。当時、ゾイ・アキントンは女学校の校長を務めており、このブレスレットが生徒たちの間で評判となりました。しかし、ブレスレットが届いてからわずか12日後、ハワイ王朝は崩壊の時を迎えます。
不安定な情勢の中、生徒たちは母親に自分の名前を刻んだジュエリーを作ってもらい、身に着けるようになりました。これが、現在も続く「母親から娘への贈り物」という伝統の始まりだと言われています。
人生の節目にハワイアンジュエリーを贈ろう!
ハワイアンジュエリーは、19世紀半ば頃から広まった歴史あるアクセサリーです。大切な人への贈り物としても扱われているため、人生の節目にぜひ贈ってみてください。